nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

冬の沖縄

先週末に初めて沖縄に行った。二泊三日の小旅行だった。写真を撮り過ぎて整理が間に合ってないので載せられないけど、取り急ぎ日記を書いておく。

今まで「南国」には二度行ったことがある。

一度は高校の修学旅行で行ったオーストラリアのケアンズ。世界遺産にもなっているグレート・バリア・リーフで有名な場所。現地の夏 (日本では冬) に行ったので観光客も多かった。

もう一度はベトナムのホーチミン。ベトナムには四季がないため常に夏のように暑い。活気があり、道には空き店舗もなく市場は物が溢れていた。

冬の沖縄はそのどちらとも違った。

確かに海は綺麗だった。夏に見たグレート・バリア・リーフほどではないにせよ、確かに日本の物とは思えない色をしている。ただ、誰も泳いでない。冬だから当然だ。

横では、そんな海などないかのように人が普通に生活していた。カメラを持った観光客もいない。土産物屋も限られた場所にしかない。街にはシャッターを下ろした店も目立った。その寂れた雰囲気はケアンズホーチミンよりも、むしろ去年行ったリノに似ていた。

最終日には勝連城址に行った。今は亡き琉球王国が建国された頃、その安定の過程でクーデターを起こして落とされた城だそうだ。今は立派な異国風の城壁のみ残る城跡である。足元の悪い道を最上郭まで登って下を見晴らしたとき、人は口を閉じる。もはや語り継ぐ者もいない時代を偲び、人々は黙って無きものの無い有様をただ受け入れるのだ。

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土産物屋には二対のシーサーの置物が並んでいた。じっと眺めていた僕を見て「買わないの?」と彼女が聞く。僕は苦い顔をして、いらん、と吐き捨てる。

ホーチミンで同じことをベトナム国旗のついたTシャツを見て言った。土産物として作られたものは旅行の熱気の中でのみ存在しうる消耗品だ。家に持ち帰って失せた熱気を偲ぶには少々役不足だろう。

物にそれぞれあるべき場所があるのだとすれば、あのシーサーたちは誰にも買われずにあの場所に留まるのが相応しく、一番良いのだろうと思う。

深町家

「何かいろいろ付いてますね」と、彼はテーブルの上の僕の携帯を指さして言った。僕の携帯には本体と同じ重さほどのキーホルダーやストラップがついている。彼は続けて、一つのキーホルダーを指して聞いた。「それは何ですか?」

彼が示したキーホルダーはほんの小さな丸いデザインのものだった。平凡なストラップの中で、中央に描かれた白黒の家紋が妙に目立つ。

「あぁ、これ」僕はどう説明していいものか少しだけ思案したのち、にやりと口角を上げていたずら顔で答えた。

「これはね、うちの家紋です」

「え、それって」僕の予想に反して彼は驚いたようだった。「なんか有名な家紋ですよね。見たことありますよ」

その家紋は桔梗をモチーフにしたものだった。桔梗は可憐な紫色の花だ。家紋の中でも女紋として有名なので、どこかで見たとしてもおかしくはない。

意外な反応を受けてそれ以上答えを引っ張ることも躊躇われた僕は白状した。「いやー、これはほんとは明智光秀の家紋ですよ。歴史ブームのときに戦国武将グッズが売ってて買ったんです」それを聞いて彼は納得した様子で詳しく話を聞かれることはなかった。

桔梗紋はいくつかの派生があり、明智光秀以外にも加藤清正坂本龍馬も用いている。日光東照宮の日海像にも桔梗紋があしらわれている *1

なぜ僕が明智光秀の家紋つきのキーホルダーを持っているのか。実を言えば、どういう経緯か、我が深町家の家紋も同じ桔梗紋なのだ。明智家の家紋は丸に桔梗なのだが、うちの桔梗には何の飾りもない、ただの桔梗。有名な人物と何か関連があることはなかろうが、なかなか立派でシンプルな家紋である。

僕の先祖にはもう一つ面白い話がある。

どういう場面の言葉かわからないが、父は母と出会った頃にこんなことを言ったそうだ。「うちの先祖は"松永弾正久秀"なんやって」──と、言われても、この人物を知っている人もそうおるまい。僕もそれまで知らなかった。

父は続けて聞く。「知らんやろ?」しかし、母は違った。「知ってるよ」日本史好きの母ならありそうな話である。

松永弾正織田信長と同じ時代に戦国武将である。織田信長への謀反を企て、追求された末に爆死して命を断った、と歴史では語られる。

しかし父の話は違った。死んだと思われていた久秀は、日本海を回って博多まで逃げ延び、そこで"岸"と名を変えて何食わぬ顔で生きていたと言うのだ。その末裔が父の祖母であり、桔梗紋の深町家の祖父と結婚した。素直には信じがたい話だが、確認のしようもない。

真偽はさておき、それから歴史書を読むのが少し楽しくなったのは確かだ。書物で名前を見るばかりの、自分から遥かに遠い時代を生きた人々と、21世紀にプログラマをやっている自分が、繋がっているかもしれないのだ。

短気な人間がいれば、父を思い浮かべる。病弱な人間がいれば、自分と重ね合わせると言った具合で僕は何かの繋がりを探す。

そういえば新選組沖田総司が死んだのは僕と同じ歳だった。彼ほどの才能はない自分だが、もう少しばかり生きて面目を施してから、先祖には会いたいと思う。

*1:蛇足だが、この桔梗紋を根拠として日海と明智光秀が同一人物なのではないかという説もある

ブログとデザイン

僕はシンプルなデザインが好きです。

その点、はてなブログのデフォルトのデザインは気に入っています。非常にシンプルで、押し付けがましいこともありません。なので今まで使ってきたのです。

しかし、はてなブログも使う人が増えてきました。多くの人はデフォルトのデザインのまま使っているようで、フィードからふらっと他人のブログに入ると、あ、同じテーマだ、ってことがしばしばあります。すると、他人が自分のブログに書き込みをしているようで妙な気持ちになります。

なのでブログのデザインを変更しました。

縦書きにしたり *1、右カラムを消したり、CSSで変更できる範囲で変更してみました。今のところはてなブログで縦書きのものはまだなさそうなので、このデザインならば他人のブログと間違うことはなさそうです。シンプルさを失っていないし、とても気に入っています。

ただ、問題もあります。縦書きにすると記事単位で水平スクロールをしなければならなくなります。僕はMacBookを使っているのですが、自分で自分の記事を読んでいて、記事の続きを読むために左に二本指スクロールをすると、勢い余って「戻る」ことがしばしばあります。

これは閲覧の勝手が少し悪いです。しばし悩んだ末、とりあえずこのまま様子を見ることにしました。

ブログなんてそもそも押し付けがましいものです。僕はこれが好きだから、ご覧の方々は少々ご辛抱ください、というのも、ある意味ではブログらしいかもしれません。

未来とハードウェア

先日、id:hitode909さんと自動テストについて話す機会があった。どうすればこの膨大なテストを保守したくなるか、という話だ。その中で、XFD (eXtreme Feedback Device) を試してみるのはどうだろうという話が出た。

テストが失敗したときに目が光る人形ならArduinoを使って簡単に作れるのは知っていた。けど、僕はArduinoを使ったことがない。具体的にどうすればできるのかというイメージが沸かない。そういったハードウェアよりのことは、知ってはいてもあえて触れてこなかったんだ。

もちろん、昔はそれでよかった。僕はソフトウェアもまともに作れない未熟なエンジニアだったし、そんなときに何でもかんでも手を出すのはよくない。でも、今は曲がりなりにも一人前のエンジニアだ。ハードウェアをあえて避ける理由もない。高度情報化社会が進むだろう未来ではむしろ必要な場面は増えるだろう。自分ができることの範囲も広がる。

そう思ってここ数日ハードウェア周りのことを調べていた。

たとえば、ArduinoでGoogleカレンダーと連携する目覚まし時計を作った話を見かけた。Androidアプリとして作ったほうが簡単ではあったろうが、専用デバイスを作ってしまうことでWebを偏在化させ、現実世界と近づけることができる。とても未来的な発想だ。

僕が未来について考えるとき、印象に残っている言葉が2つある。1つはアラン・ケイの引用

ネグロポンテの考えは、本当にインターネットが浸透し、基本的には地球上の意味のあるもの何でもがIPアドレスを持っていること。未来がわかるようになるのは左腕のカフスボタンが右のカフスボタンと衛星経由で通信できるようになったときだという彼の名言がある。それが未来だ。── アラン・ケイ

もう一つは元アルバイト先の手嶋屋手嶋さんの言葉。

我々の目的は、攻殻機動隊の世界を実現することだ。──手嶋守

そのためには、Webだけじゃ足りない。もっと幅広い知識と柔軟な発想が必要だと思う。