nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

深町家

「何かいろいろ付いてますね」と、彼はテーブルの上の僕の携帯を指さして言った。僕の携帯には本体と同じ重さほどのキーホルダーやストラップがついている。彼は続けて、一つのキーホルダーを指して聞いた。「それは何ですか?」

彼が示したキーホルダーはほんの小さな丸いデザインのものだった。平凡なストラップの中で、中央に描かれた白黒の家紋が妙に目立つ。

「あぁ、これ」僕はどう説明していいものか少しだけ思案したのち、にやりと口角を上げていたずら顔で答えた。

「これはね、うちの家紋です」

「え、それって」僕の予想に反して彼は驚いたようだった。「なんか有名な家紋ですよね。見たことありますよ」

その家紋は桔梗をモチーフにしたものだった。桔梗は可憐な紫色の花だ。家紋の中でも女紋として有名なので、どこかで見たとしてもおかしくはない。

意外な反応を受けてそれ以上答えを引っ張ることも躊躇われた僕は白状した。「いやー、これはほんとは明智光秀の家紋ですよ。歴史ブームのときに戦国武将グッズが売ってて買ったんです」それを聞いて彼は納得した様子で詳しく話を聞かれることはなかった。

桔梗紋はいくつかの派生があり、明智光秀以外にも加藤清正坂本龍馬も用いている。日光東照宮の日海像にも桔梗紋があしらわれている *1

なぜ僕が明智光秀の家紋つきのキーホルダーを持っているのか。実を言えば、どういう経緯か、我が深町家の家紋も同じ桔梗紋なのだ。明智家の家紋は丸に桔梗なのだが、うちの桔梗には何の飾りもない、ただの桔梗。有名な人物と何か関連があることはなかろうが、なかなか立派でシンプルな家紋である。

僕の先祖にはもう一つ面白い話がある。

どういう場面の言葉かわからないが、父は母と出会った頃にこんなことを言ったそうだ。「うちの先祖は"松永弾正久秀"なんやって」──と、言われても、この人物を知っている人もそうおるまい。僕もそれまで知らなかった。

父は続けて聞く。「知らんやろ?」しかし、母は違った。「知ってるよ」日本史好きの母ならありそうな話である。

松永弾正織田信長と同じ時代に戦国武将である。織田信長への謀反を企て、追求された末に爆死して命を断った、と歴史では語られる。

しかし父の話は違った。死んだと思われていた久秀は、日本海を回って博多まで逃げ延び、そこで"岸"と名を変えて何食わぬ顔で生きていたと言うのだ。その末裔が父の祖母であり、桔梗紋の深町家の祖父と結婚した。素直には信じがたい話だが、確認のしようもない。

真偽はさておき、それから歴史書を読むのが少し楽しくなったのは確かだ。書物で名前を見るばかりの、自分から遥かに遠い時代を生きた人々と、21世紀にプログラマをやっている自分が、繋がっているかもしれないのだ。

短気な人間がいれば、父を思い浮かべる。病弱な人間がいれば、自分と重ね合わせると言った具合で僕は何かの繋がりを探す。

そういえば新選組沖田総司が死んだのは僕と同じ歳だった。彼ほどの才能はない自分だが、もう少しばかり生きて面目を施してから、先祖には会いたいと思う。

*1:蛇足だが、この桔梗紋を根拠として日海と明智光秀が同一人物なのではないかという説もある