今宵の月のように
久しぶりに長く夜空を見た。皆既月食の夜だった。
いくつか寄り道をして鴨川に着いたのは、食が始まる一時間前だった。途中で買ったドーナツを食べながら、河原で灰色の雲に覆われた空を眺めていた。
「月、見えないね」
河原の空気は冷たかった。言葉と同時に白い息が出た。僕は黙って頷いて拓けた河原の川べりでぐるりと空を見渡した。雲には光の差す隙間もなかった。
僕はドーナツを食べ終えた後、途切れなく流れ続ける雲の大河をしばらく見上げていた。今日は見えないかもね。大して残念そうにもなくそうつぶやいて、僕は持参したMacbookを開いた。
自分の作業に意識が向き始めた頃、少し遅れて彼女は音楽を流し始めた。知らない曲が流れて、聞いたことのある曲が流れた。いつの日か、輝くだろう、今宵の月のように。エレファントカシマシの「今宵の月のように」だった。
数十分、そうして過ごした頃、ふっと雲に切れ目ができた。雲の間から明るい光が照らした。あ、月だ。後方の空を見やると、星空が広がっていた。雲は一層速く流れている。
見られそうだ。希望を持って夜空を眺めているうちに、空はみるみる美しい星空に変わっていた。
空気の澄んだ夜だった。すっかり晴れた空で輝く月はまるで菩薩のように静かに佇んでいた。物も言わずじっと眺めていると、まるでこの世界に、この月と僕しかいないかのように思われた。この月と、そして僕──。
今年は僕にとって転換の年だった。転職という事柄もそうかもしれないが、その前後で自分の考えが大きく変わったことは何より人生の中でも大きな屈折点だろう。半年前の自分と今の僕ではまったく別人のようになってしまったと感じる。転職は、その考えの変化の具象物の一つでしかない。
やがて月は定刻通りに影をつけ始め、数時間かけて闇を広げ、しまいにはすべてが影に覆われた。紅く妖艶な月だった。
転職に伴って同時に転居も必要だったため、周りの皆に念入りに挨拶をした。いつかまた会うこともあるだろうと思っていた多くの人が、もう二度と会わないかもしれない人々になっていく。全員に会うことはできないが、報告をしないわけにもいかない。
報せを聞いた皆の反応は様々で、純粋に喜んでくれた人たちもいたが、少なからず僕への不安感を表した人もいた。この環境の変化で僕がスポイルされてしまうのではないかという不安だ。しかし、昔からの他人の言うことなんて聞こうともしない強情さは変わらず、そういった他人の声を振り切って京都に来たのだ。
不安がまったくなかったわけではない。ただ、どんなに人が失望しようとも、友達は僕を好きでいてくれる。僕にはその小さな期待だけで十分だった。
紅い月を少し眺めたのち、徐々に増す寒さに負けて残りまで見ずに帰ることにした。この後起こることは、これまで見た工程の、逆再生でしょう。
近くのマクドナルドでコーヒーを飲んで温まった帰り道。寒いね、と言って見上げた空では、細い月が再び顔を出し始めたところだった。
贅沢
京都で家を探して不動産屋を訪ねていたときのこと。今の住まいを聞かれて川崎、と答えると、親切に京都の地理や風土について教えてくれた。
ちょうど八月だった。暑いですね、と言う。関東よりも暑いですか、と問い返す。ええ。京都の夏は毎年こんな感じです。夏は暑くて、冬は寒くなります。
最悪ですね、と苦笑いして返した。ええ、まあ……よく言えば、「四季がある」とも言えましょう。
昨日、今年初めて紅葉を見に行った。人ごみが嫌いなので嵐山には近づかず、人の少なそうな光悦寺を選んだ。
川崎にいた頃は、通勤電車の車窓を流れるほどにしか見ることのなかった紅葉を、週末に電車とバスを乗り継いで北山のお寺まで見物しにいくというのもまったく贅沢な行為である。光悦寺は案の定人が少なく、紅葉は予想を超えて綺麗だった。
どうして京都の紅葉はこんなに綺麗なんだろう。部屋の窓の外に見える紅葉が風を受けて舞う様は、もはや壁に掛かる美術作品を見ているようだった。あんなにも見事な紅葉の樹の下に、たとえ屍体が埋まっていたと知っても、何も驚くことはあるまい。
最寄りの停留所を見送って帰りのバスをさらに走らせ、四条通りの大丸の前で降りた。地下に降りて、何を探すでもなく歩いていると、「嬉野茶」という見慣れた名前が見えた。嬉野茶は出身地の隣県、佐賀のお茶である。
眺めている様子に気づいた店の人に声をかけられたが、それを断って通り過ぎ、ぐるりと回って再び通りがかったときに、やはり、と考えて茶筒を一つ購入した。
帰り際にちらっと隣の店を見やると、そこでも茶葉を売っていることに気づいた。多くの客を集めるその店では宇治茶を多く揃えているようだった。
この京都で宇治茶を尻目に嬉野茶を買って帰るというのも全く贅沢な話だ。そう思い一層の満足感を得て、まだ明るい家路に就くのだった。
物書きのための非公式ブログテーマ
ブログテーマを褒められました。
最初の頃は「縦書きにしたら面白そう」という程度で笑いながら作り始めたのですが、Chromiumで思ったより綺麗に表示されたため真面目に作り込んでみた次第です。はてなブログでは日本語を頑張ろうと思っていたのもあり、丁度良く使っています。
使いたい方もいらっしゃるかもしれないのでid:uedayさんを見習って公開しておきます。
『Writer』
公式テーマEpicを元にしています。美しい日本語を意識して作った縦書きのテーマです。
最新のGoogle Chrome、Safari、IE9で縦書きで表示され、Firefox、Opera、IE6-8では横書きで表示されます。Chromeの安定版は、入っているWebKitが少し古いみたいで、フォントだけ縦書きで横転したように表示されてしまうようで残念です。
自分のブログで使うには、設定→デザイン→カスタマイズの「デザインCSS」に下記をコピペします。
@import "http://dl.dropbox.com/u/170442/hatenablog/writer.css"; #title a:before { content: url("http://自分のプロフィール画像のURL"); }
※追記(2012/01/11): alpha2.cssのimportが不要になりました。
#title a:before の content に画像のURLを指定するとブログタイトルの左横に画像を出すことができます。表示が必要なければ下三行は不要です。
それにしてもこのテーマはコードを書くには全然向いてないですね。もうコード書きたくないです。