2012-03-04

被災地を訪れて

去年三月十一日の東北地方太平洋沖地震があったとき、僕は六本木のオフィスで仕事をしていた。東京も震度五強で、建物が倒壊するほどではなかったけれど、その日は電車が一晩中動かず、会社の椅子で眠った。

その日会社のテレビで見た大津波の町、宮城県南三陸町に数日間滞在した。会社の開発合宿を兼ねたもので、二日間はカンヅメで開発を行い、残り二日で被災地の様子を見てまわる旅行だった。

早朝からバスと飛行機と、さらにバスに乗って辿り着いた町は何もない場所だった。海沿いを走って開けた平地に出る。眠い目をこすって眺めた雪原に、かつて家が並んでいたのだということに気づくまで時間がかかった。ただ四角いコンクリートの枠だけが残り、薄い雪がそれを覆う。家も商店も一様に消え去り、バスがいくら進んでも廃墟と雪原しかない。このような光景が海岸から遙か遠くまで続いているというのだから驚く。

どれほどの津波であればこんな惨状になるのか。聞くと、三階建ての建物の屋上に登って膝下くらいまで水が来て、一晩水が引かなかったそうだ。ビルの上に取り残された車や、陸上の船がその確からしさを増している。高台に登って見渡した景色がすべて海で覆われていると聞いたときの背筋の凍る想いは忘れられない。

このような機会がなければ絶対に訪れなかったであろう僕が言うのはとても恐れ多いけれど、実際に行くことでより身近に感じられたのは良い体験だった。現地の被災された方々も快く歓迎してくれた。「実際に来ていただけるのが最大のボランティア」という言葉を聞いてとても心が痛んだ。僕は去年の地震を、いつまで身近に感じていられただろう。三月だったか四月だったか。でも、現地の人々は七月まで水も出ないような生活を強いられていた。

一年経った今、ようやく瓦礫の撤去までできたものの、何も取り始められないこの現状を見るに、物見遊山でもいいから、来て、見てもらいたい、という言葉は、今後も十年以上続くだろう。同じ時間で止まった瓦礫の中の時計を、せめて我々だけは忘れてはいけない。

2012-01-21

世界片

去年の四月にマイクロ一眼を買った。携帯のカメラで風景を撮っていた僕にとっては良すぎるカメラだ。それまでほとんど趣味と言えるもののなかった僕にとって初めての趣味だった。

カメラを買うまでは、そんなにたくさん撮ることがあるだろうかと考えあぐねている時期もあったが、実際買ってみると週末に出かけた際などに持ち歩いて、気の向くままに撮って回る事が多い。

以前、関東の友人と外に出たときに新しいカメラの話になった。彼は僕の首にかかったカメラを示してピント? ぼかし? 補正? 確かそんな話をした。僕は、さあ、よく知らない、とだけ首をすくめて答えた。すると彼は呆れた顔をして言う。

「深町さん、もっとカメラのこと勉強したらどうですか」

そう言われてもなぁ……。何しろ僕は使いこなそうという気がないのだ。シャッターがついていて、押したらそれなりの質で撮れるという物体であればそれ以上に立ち入る気がない。うまく撮れないことも多い。気にしない。そういったものを眺めるのも悪くない。逆に偶然にもよく撮れたものはFacebookに貼り付けたりして楽しんでいる。

考えてみると、僕はカメラを向けてシャッターを押すという動作が好きでカメラを持ち歩いているのかもしれない。醜いものや退屈なものばかりのこの世界で、ただ美しいものだけを切り取っては集めている。

2012-01-14

本屋に行っての帰り道、すぐに帰っては勿体無いと思い、あてもなく家とは反対の方角へ向かった。週末の買い物客の多い河原町から小道に入り、騒がしい木屋町通を抜けると鴨川がある。河原への階段を下りた。冷たい空気が周りを満たす。

僕は冬がそれほど嫌いじゃない。冬の寒さは街の喧騒をかき消してくれる。街の人の口数は減って一様に衣服は膨れ、皆自分の中に篭る。すると、この僕にもどうにか溶け込む場所があるように思えるのだ。

僕は鴨川を一人北に歩きながら、どうもこうもなってくれそうにない多くのことを持て余していた。はあ。寒い。寒い。どうしよう。もう誰も僕を知らない場所に、行ってしまえればいいのに。

風が吹いた。身を縮めて行き過ぎるのを待ち、凍えてうまく動かせなくなっていた指先を口元に寄せた。吐いた息は白い。そのとき、はっと我に返って僕は辺りを見回した。

自転車の車輪がからからと回る。鴨は静かに川面を漂っていた。遠くに聞こえる車の音はどこからだろう。すれ違う人は皆無言で、衣擦れだけが行くあてもなく漂っている。

すべてが厳かに思える空間だった。まるで言の葉を発してしまうとこの世界が崩壊するかのように思われた。誰もが知らないはずの空間で、今なら誰もが理解し合えるのではないかとすら感じられる。何らゆかりもない土地でそんな考えが生まれたことに驚愕した。

前方からは老婦人が犬と並んで歩いてきていた。進路に僕を認めた婦人は、リードを静かに背中に回した。犬はゆっくりと後ろに回り、再び同じ速度で歩き始めた。

僕はそれを避けて道の端を慎重に歩きながら、少し俯き、誰にともなく願った。どうかこの地が、僕を拒むことなく、もうしばらくここに留まることを、許してくれますように。

2012-01-06

僕とニトリと深町英太郎

去年、僕は歳をとるのをやめた。

正確に言うなら誕生日を捨てた。自分の誕生日が嫌いだったからだ。誕生日が来る数カ月前にウェブ上にあるさまざまなサイトから、自分の誕生日の情報を神経質に消して回った。個人ブログ、TwitterGoogleFacebook、GitHub、mixi、そして、はてな。今まで自分がこれほどのサービスで当たり前のように誕生日を入力していたことに驚いた。

そうして時は経ち、いよいよ誕生日を迎えて僕は二十四歳になった。誰にも知られてはいけない自分だけの秘密を抱えることは愉快だった。そのとき、はてなに転職して一カ月が経っていた。

はてなでは、社員同士をお互いはてなIDで呼び合う文化がある。

「『nitro_idiot』って長いね。何て呼べばいい?」
「何でもいいです。『にとろ』とかでしょうか」
「んー……。にとろ……。nitroとidiotで……『にとり』君ってどう?」
「……なんだか家具屋さんみたいな名前ですね」

「深町さん」と呼ばれることに慣れていた僕は、最初「にとり君」と呼ばれることに違和感があった。ただ、それも徐々に慣れてきて、最近では自ら意識して使い分けることすらしている。今までの僕が深町英太郎で、これからの僕がnitro_idiot。

東京の深町英太郎と、京都のnitro_idiot。社会的な深町英太郎と、非社会的なnitro_idiot。理想主義な深町英太郎と、現実主義なnitro_idiot。はてなブログにいるのはnitro_idiotで、ダイアリーに住んでるのは深町英太郎。もうしばらく更新していないけれど。

パラレルワールドの溝に落ちた僕は、新年に皆が掲げる華々しい抱負をよそに、ずっと終わらないように思える世界で、一人だけ、二〇一一年十三月を迎えた。

2011-12-13

今宵の月のように

久しぶりに長く夜空を見た。皆既月食の夜だった。

いくつか寄り道をして鴨川に着いたのは、食が始まる一時間前だった。途中で買ったドーナツを食べながら、河原で灰色の雲に覆われた空を眺めていた。

「月、見えないね」

河原の空気は冷たかった。言葉と同時に白い息が出た。僕は黙って頷いて拓けた河原の川べりでぐるりと空を見渡した。雲には光の差す隙間もなかった。

僕はドーナツを食べ終えた後、途切れなく流れ続ける雲の大河をしばらく見上げていた。今日は見えないかもね。大して残念そうにもなくそうつぶやいて、僕は持参したMacbookを開いた。

自分の作業に意識が向き始めた頃、少し遅れて彼女は音楽を流し始めた。知らない曲が流れて、聞いたことのある曲が流れた。いつの日か、輝くだろう、今宵の月のように。エレファントカシマシの「今宵の月のように」だった。

数十分、そうして過ごした頃、ふっと雲に切れ目ができた。雲の間から明るい光が照らした。あ、月だ。後方の空を見やると、星空が広がっていた。雲は一層速く流れている。

見られそうだ。希望を持って夜空を眺めているうちに、空はみるみる美しい星空に変わっていた。

空気の澄んだ夜だった。すっかり晴れた空で輝く月はまるで菩薩のように静かに佇んでいた。物も言わずじっと眺めていると、まるでこの世界に、この月と僕しかいないかのように思われた。この月と、そして僕──。

今年は僕にとって転換の年だった。転職という事柄もそうかもしれないが、その前後で自分の考えが大きく変わったことは何より人生の中でも大きな屈折点だろう。半年前の自分と今の僕ではまったく別人のようになってしまったと感じる。転職は、その考えの変化の具象物の一つでしかない。

やがて月は定刻通りに影をつけ始め、数時間かけて闇を広げ、しまいにはすべてが影に覆われた。紅く妖艶な月だった。

転職に伴って同時に転居も必要だったため、周りの皆に念入りに挨拶をした。いつかまた会うこともあるだろうと思っていた多くの人が、もう二度と会わないかもしれない人々になっていく。全員に会うことはできないが、報告をしないわけにもいかない。

報せを聞いた皆の反応は様々で、純粋に喜んでくれた人たちもいたが、少なからず僕への不安感を表した人もいた。この環境の変化で僕がスポイルされてしまうのではないかという不安だ。しかし、昔からの他人の言うことなんて聞こうともしない強情さは変わらず、そういった他人の声を振り切って京都に来たのだ。

不安がまったくなかったわけではない。ただ、どんなに人が失望しようとも、友達は僕を好きでいてくれる。僕にはその小さな期待だけで十分だった。

紅い月を少し眺めたのち、徐々に増す寒さに負けて残りまで見ずに帰ることにした。この後起こることは、これまで見た工程の、逆再生でしょう。

近くのマクドナルドでコーヒーを飲んで温まった帰り道。寒いね、と言って見上げた空では、細い月が再び顔を出し始めたところだった。