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nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

『君の名は。』運命の出会い

※ちょっとネタバレがあります。

大学の同級生五人で久しぶりに飲み会をした。八月にそのうちの一人の結婚式で顔を合わせたばかりだが、披露宴では主役とゆっくり話す余裕もなかったので日を改めて飲み直そうということになったのだ。

まずは近況。それから結婚祝いということもあって、主役に対する質問をいくつか。そのうちに質問も尽きて、会の中で唯一恋人のいる様子もない友人にふと「彼女いないのか」を皆で訊いた。いない。なぜ作らないのか。出会いがない。職場には女性いないの。いるけどそういう感じじゃない。

出会いがない、というのは十分すぎる理由だと思う。現実はドラマのようには行かない。


典型的な日本の恋愛ドラマの大筋は似ている。まず男と女が出会います。このとき大抵の場合は最悪な出会いであるように描かれます。けれど次第に二人の間が縮まります。一悶着あって結局付き合うことになります。めでたしめでたし。

このようなドラマがつまらないのはそれがどれもこれも似通っているだけでなく非現実的だからだ。現代社会の恋愛で最も難しいのはしかるべき相手と出会うことだと思う。しかるべき相手というのは同年代の異性であり特定の相手がおらず自分の好みに合致する人間のことだ。定職についているとか、背が高いとか、料理が得意とか。ドラマではそんな困難もなくフリーの美男美女がいきなり出会うのは奇妙だし、それこそファンタジーと言っても過言ではなかろう。


新海誠のアニメ映画「君の名は。」を観た。作品の紹介では高校生の男女の中身が入れ替わる話だ、ということが強調されているけれど、そんな超常的な設定はそれほど重要ではなかった。素直に恋愛映画ってこういうものだよね、と思い出させてくれる良作だと思った。

「君の名は。」が典型的な恋愛ドラマと異なるのは、二人が出会うまでの壮大な道のりを描いていることだ。もちろん現実の泥臭い恋愛模様ではなく、「結び」によって結ばれるべくして結ばれるという運命的なものだからその点はファンタジーと言えるかもしれない。この作品はその舞台装置をどれほど受け入れられるかが評価を分かつように思う。

彗星の片割れが一二〇〇年の時を経て再び落ちる──おそらくこれも「結び」による必然──というのもロマンティックだし、巫女一族がその流星の落下を予言するという日本神話的なストーリーにも痺れる。

けれどもこの映画はSFではない。主軸は、人間は結ばれるべき片割れを探して生きている、というド直球な恋愛映画だ。素直に言ってかっこよすぎる。


僕が中学生の頃、父の友人の女性が旦那さんと出会ったときのことを話してくれた。「あの人とはお見合いで会ったの。親戚から勧められて何人かとお見合いしたんだけど、自分は乗り気じゃなかった。だけどあの人と会ったときに『あ、この人と結婚するかも』って思ったのよね」そして彼女は事実そのように結婚した。


「君の名は。」のラストシーンで新宿のカフェで結婚式の打ち合わせをする勅使河原と早耶香が映る。久しぶりに会った奥寺先輩が「君も幸せになってね」と去り際に振った左手には結婚指輪がはめられている。そして最後まで出会うかわからない瀧くんと三葉が、ついに階段で出会い、君の名前は、と訊く。


僕は運命というものを信じない。今までの結果は自分自身の自由意志で下してきたものだと信じたい。けれど、そのような運命的な出会いがあるのだとしたら素敵だろうなとは思う。