nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

被災地を訪れて

去年三月十一日の東北地方太平洋沖地震があったとき、僕は六本木のオフィスで仕事をしていた。東京も震度五強で、建物が倒壊するほどではなかったけれど、その日は電車が一晩中動かず、会社の椅子で眠った。

先日、その日に会社のテレビで見た大津波の町、宮城県南三陸町に、数日間滞在した。会社の開発合宿を兼ねたもので、二日間はカンヅメで開発を行い、残り二日で被災地の様子を見てまわる旅行だった。

早朝からバスと飛行機と、さらにバスに乗って辿り着いた町は何もない場所だった。海沿いを走って開けた平地に出る。眠い目をこすって眺めた雪原に、かつて家が並んでいたのだということに気づくまで時間がかかった。ただ四角いコンクリートの枠だけが残り、薄い雪がそれを覆う。家も商店も一様に消え去り、バスがいくら進んでも廃墟と雪原しかない。このような光景が海岸から遙か遠くまで続いているというのだから驚く。

どれほどの津波であればこんな惨状になるのか。聞くと、三階建ての建物の屋上に登って膝下くらいまで水が来て、一晩水が引かなかったそうだ。ビルの上に取り残された車や、陸上の船がその確からしさを増している。高台に登って見渡した景色がすべて海で覆われていると聞いたときの背筋の凍る想いは忘れられない。

このような機会がなければ絶対に訪れなかったであろう僕が言うのはとても恐れ多いけれど、実際に行くことでより身近に感じられたのは良い体験だった。現地の被災された方々も快く歓迎してくれた。「実際に来ていただけるのが最大のボランティア」という言葉を聞いてとても心が痛んだ。僕は去年の地震を、いつまで身近に感じていられただろう。三月だったか四月だったか。でも、現地の人々は七月まで水も出ないような生活を強いられていた。

一年経った今、ようやく瓦礫の撤去までできたものの、何も取り始められないこの現状を見るに、物見遊山でもいいから、来て、見てもらいたい、という言葉は、今後も十年以上続くだろう。同じ時間で止まった瓦礫の中の時計を、せめて訪れた我々だけは忘れてはいけない。