nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

本屋に行っての帰り道、すぐに帰っては勿体無いと思い、あてもなく家とは反対の方角へ向かった。週末の買い物客の多い河原町から小道に入り、騒がしい木屋町通を抜けると鴨川がある。河原への階段を下りた。冷たい空気が周りを満たす。

僕は冬がそれほど嫌いじゃない。冬の寒さは街の喧騒をかき消してくれる。街の人の口数は減って一様に衣服は膨れ、皆自分の中に篭る。すると、この僕にもどうにか溶け込む場所があるように思えるのだ。

僕は鴨川を一人北に歩きながら、どうもこうもなってくれそうにない多くのことを持て余していた。はあ。寒い。寒い。どうしよう。もう誰も僕を知らない場所に、行ってしまえればいいのに。

風が吹いた。身を縮めて行き過ぎるのを待ち、凍えてうまく動かせなくなっていた指先を口元に寄せた。吐いた息は白い。そのとき、はっと我に返って僕は辺りを見回した。

自転車の車輪がからからと回る。鴨は静かに川面を漂っていた。遠くに聞こえる車の音はどこからだろう。すれ違う人は皆無言で、衣擦れだけが行くあてもなく漂っている。

すべてが厳かに思える空間だった。まるで言の葉を発してしまうとこの世界が崩壊するかのように思われた。誰もが知らないはずの空間で、今なら誰もが理解し合えるのではないかとすら感じられる。何らゆかりもない土地でそんな考えが生まれたことに驚愕した。

前方からは老婦人が犬と並んで歩いてきていた。進路に僕を認めた婦人は、リードを静かに背中に回した。犬はゆっくりと後ろに回り、再び同じ速度で歩き始めた。

僕はそれを避けて道の端を慎重に歩きながら、少し俯き、誰にともなく願った。どうかこの地が、僕を拒むことなく、もうしばらくここに留まることを、許してくれますように。