nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

小説

泥濘

それはある日の事だった。――朝、仕事に行く妻を見送ってから再びベッドに戻って考え事に耽る。去年の暮れに関東へ引越してからの習慣になっていた。今日は何をしようかと考えてみたが、その日は何もする気も起こってこなかった。それより前、自分はかなり根…

苦悩の告白

「なかんずく君は発見することになるだろう。人間のなす様々な行為を目にして混乱し、怯え、あるいは吐き気さえもよおしたのは、君一人ではないんだということをね」 ―― J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」 ときどき思い出す言葉がある。それはときに…

欺瞞

毎朝、種を蒔いた盆栽に水を遣る。水遣りは上からジョウロでぱらりと撒くような優雅なものではなく、種が流れてしまわないよう水を張った皿に鉢ごと浸けて行う。水分が行き渡るまでには二十秒ほどかかる。僕は軒下でじっと土の表面を見つめていた。蒔いてひ…

眠る女生徒

病院で、眠りにつくときの気持ちは、面白い。夏の雑木林で蝉時雨の只中に一人ぽつりといて、私を探しているのかしら、遠くで知った誰かが私を探して叫んでるのに、どこかすぐに出て行っては面白くないような、変ないたずら心で、だけど懸命に隠れるのも変な…

ホタル

夜の空気に触れながら河原を歩いていると、視界の上端で淡い光が走った。月の出ない夜であった。見上げてそのまま立ち尽くしていると、再び光の線が走った。ホタルである。よくよく水辺を見渡すと、他にも数個の点滅を見つけた。ホタルを見るのはとても久し…

本屋に行っての帰り道、すぐに帰っては勿体無いと思い、あてもなく家とは反対の方角へ向かった。週末の買い物客の多い河原町から小道に入り、騒がしい木屋町通を抜けると鴨川がある。河原への階段を下りた。冷たい空気が周りを満たす。僕は冬がそれほど嫌い…