nitro_idiot’s diary

すべてフィクションということになっています。

世の中の美しいもの

最近、ツイッターでじわじわと目にするようになったask.fmを僕も使ってみようと思って登録してみた。

ask.fmは自分の周りから質問を募集して、それに回答するソーシャルなウェブサービスだ。思ったよりも真面目な質問が多く集まり、「今は何をして生計を立てていらっしゃるのですか?」などというものまで寄せられた。僕は相変わらず雇用されておらず、収入の多くは妻に頼っている。


先日、妻が会社の人と食事に行ったときの話。既婚者ばかりの集いで、お互いの夫はどういう人かという話になったそうだ。

「ある人の旦那さんは元自衛官で、オーストラリアに語学留学経験があって、独学でプログラミングを学んで、今はプログラマなんだって」

どこかで聞いたことがあるようなプロフィールだったので、京都に住んでる?とか山に登ったりする?とか聞いてみたが、どうやら僕が知っている人ではなさそうだ。

「それで、深町さんの旦那さんはどんな人ですかって聞かれたの」と妻は言う。「どういう人って聞かれても困るから、いろいろ例を出してもらった。ずっとゲームをやってるゲーマータイプ、とか」

ほう。

「だけどどれもピンとくるものが無くて。困って、結局『人に全然興味がない人です』って答えた」

――他に言いようがあろうものを。


昨日、ask.fmで新しい質問がきた。「世の中で美しいと思うものを三つ教えてください」

何でこの人は僕に聞こうと思ったのか・・・・・・とは思いつつも、僕の知る狭い世の中を振り返ってみて、美しいってなんだろうと夜中の真っ暗な部屋の中で一人考えていた。

真っ先に思い浮かんだのはやっぱりとあるプログラム言語のことだ。時に涙が出そうになるほどの美しさを持つそれは、僕の生活の大部分を占めていて、自信を持って美しいと言える。

けれど、それに並ぶべき残り二つの美しいものは見つからない。考えれば考えるほど、世の中は醜いものや邪悪なもので溢れていることを思い知らされる。

そして同時に、自分の奥底で、それでいいのだ、いやむしろ世の中は醜く邪悪なものだ、という諦念が横たわっているのに気付かされた。

一見美しいと思うものでも、その裏にある欺瞞を探さずにはおれない。僕自身が世の中の邪悪さを持って美しさを否定する。

美しいもの。散々悩んで、思いつきません、と回答した。


──美しいもの、って何だろう。


数年前、僕がまだ高津区に住んでいる頃。車で立ち寄った町外れのファミレスで、自分のテーブルへの通路を歩くとき、二人席に向かい合って座る母娘の脇を通った。テーブルに並んだ平皿はもう全部空っぽで、二人の興味は手に持ったデザートメニューに移っている。二人の間に会話はなく、少し顎を上げたリラックスした姿勢でメニューの表や裏をじっと眺めて、きゅっと結んだ唇を舌でぺろりと舐めている。

はぁ、なんて無邪気なんだろう。まだ少し空いている胃の隙間を埋めるために真剣になっているあの母娘の昼下がりのささやかな幸せを、誰が否定し、邪魔することができるだろう。もしもこの世の中に潜む邪悪なものが邪魔しようと企むなら、僕は彼らを守りたい。彼らの苦しむような世の中なんて僕は耐えられっこない。


僕は今でも変わらずプログラマをやっている。妻にさえ「人に全然興味がない」と言われるほどだけど、あの無邪気な母娘が安心して暮らせるような少しでも良い世の中にしたい、という気持ちは、まだ忘れたわけじゃない。