贅沢
京都で家を探して不動産屋を訪ねていたときのこと。今の住まいを聞かれて川崎、と答えると、親切に京都の地理や風土について教えてくれた。
ちょうど八月だった。暑いですね、と言う。関東よりも暑いですか、と問い返す。ええ。京都の夏は毎年こんな感じです。夏は暑くて、冬は寒くなります。
最悪ですね、と苦笑いして返した。ええ、まあ……よく言えば、「四季がある」とも言えましょう。
昨日、今年初めて紅葉を見に行った。人ごみが嫌いなので嵐山には近づかず、人の少なそうな光悦寺を選んだ。
川崎にいた頃は、通勤電車の車窓を流れるほどにしか見ることのなかった紅葉を、週末に電車とバスを乗り継いで北山のお寺まで見物しにいくというのもまったく贅沢な行為である。光悦寺は案の定人が少なく、紅葉は予想を超えて綺麗だった。
どうして京都の紅葉はこんなに綺麗なんだろう。部屋の窓の外に見える紅葉が風を受けて舞う様は、もはや壁に掛かる美術作品を見ているようだった。あんなにも見事な紅葉の樹の下に、たとえ屍体が埋まっていたと知っても、何も驚くことはあるまい。
最寄りの停留所を見送って帰りのバスをさらに走らせ、四条通りの大丸の前で降りた。地下に降りて、何を探すでもなく歩いていると、「嬉野茶」という見慣れた名前が見えた。嬉野茶は出身地の隣県、佐賀のお茶である。
眺めている様子に気づいた店の人に声をかけられたが、それを断って通り過ぎ、ぐるりと回って再び通りがかったときに、やはり、と考えて茶筒を一つ購入した。
帰り際にちらっと隣の店を見やると、そこでも茶葉を売っていることに気づいた。多くの客を集めるその店では宇治茶を多く揃えているようだった。
この京都で宇治茶を尻目に嬉野茶を買って帰るというのも全く贅沢な話だ。そう思い一層の満足感を得て、まだ明るい家路に就くのだった。